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04.黒づくめの美女はピアニスト [蒼ざめた微笑]

カインド・オブ・ブルー / マイルス・デイヴィス



 冬子が帰って来たのは六時半頃だった。

 私はホッと胸を撫で下ろした。これで、女子高生のお守りから解放される。

 私たちはレストランを出ると、マンションに向かった。

「あのう、どうして、ジープに乗ってるんですか?」と裕子が不思議そうに聞いた。

「安かったんだよ。買った時は夏だったしね」

「でも、目立ち過ぎるんじゃないんですか?」

「それは言える。でも、これを買った時、まさか、探偵になるとは思ってなかったからな。目立たない車に替えようとは思うんだが、結構、丈夫でね。なかなか手放せないんだよ」

「そうですか‥‥‥でも、尾行なんかもするんでしょ?」

「時にはね。だけど、テレビや映画みたいに車で追いかけっこするような事なんて滅多にないんだよ。追いかけて行ったとしても駐車する場所を見つけてるうちに逃げられちゃうんだ。一人だけでは、とても、追跡なんてできない。私の仕事はもっと地味で、自分の足で稼がなければならないんだよ。時には頭も使うけどね」

「そうですか‥‥‥この車なら、どんなとこにも行けるんでしょ?」

「まあね。しかし、乗り心地はあまりよくないだろう。冬になるたびに替えようとは思うんだけど、春になると忘れちまうんだ。とにかく、動けばいいんだよ」

 トリコロールのマンションに着くと裕子はジープから飛び出して、浮き浮きしながら階段を登って行った。

 ドアを開けた冬子は当然かもしれないが、裕子とは似ていなかった。細面で細い体で、肩に掛かった長い茶髪は綺麗に波打っていた。体にピッタリした白いセーターに色あせたジーンズをはいている。左胸に針金で作ったような、わけの分からないブローチが光っていた。

 虞美人荘の大家から聞いた印象とは大分、違っていた。昼間から酒を飲み、夜中に大声で騒ぎ、熱中すると何もかも忘れて絵を描いていると聞いた時は、余程、変わっている娘に違いないと思ったが、外見はまったく普通の娘だった。髪を派手に染めているわけでもなく、不気味な化粧をしているわけでもなく、奇抜な格好もしていなかった。

 冬子は裕子の顔を見て、まず驚き、そして、体全体で喜んだ。彼女の喜び方は複雑だった。私には意味の分からない事をしきりに喋りまくり、裕子の肩をたたいたり、髪にさわったり、手を上げたり下げたり、顔の表情を色々と変えながら喜んでいた。

 裕子はここに来るまでの苦労話を私の事も含めて東北弁で簡単に説明した。冬子はうなづきながら聞いていた。裕子の話が終わってから、冬子は初めて、私の存在に気づいたように私を見た。私の正体を見極めようとするかのように、熱のこもった涼しい目で私を見つめた。

 私は自分を紹介した。妹と同じく、探偵という者を嫌ってはいないらしい。むしろ、好奇心の方が強いようだ。裕子と私を部屋の中に入れてくれた。

 ダイニングキッチンの次の部屋は、どうも、アトリエらしかった。ライトブルーの壁に女の顔を描いた油絵が未完成のまま、ポツンと掛けてある。床もブルーのカーペット。その上に酒樽のような椅子が二つ、好き勝手な場所に転がっている。

 隅の方に、描きかけの油絵がイーゼルに乗っていた。この部屋に合わせたつもりか、三種類の青で塗られてあるが、何が描いてあるのか見当もつかない。何枚かのキャンバスが背中を向けて、重ねて壁に立て掛けてあった。唯一の家具らしい物といえば、壁にそって置いてある長椅子だろう。長椅子というよりは、どこかの公園から、いただいて来たベンチと言った方が正しい。そのベンチの上には大きなトトロの縫いぐるみが大きな面をして寝ていた。

 隣の部屋は和室になっていて、ステレオからジャズが静かに流れていた。こたつに入って、CDのジャケットを見ながら、年期の入った銀ギセルでタバコを吸っている老人がいた。キセルに負けない程の年期の入った顔つきをしている。老人の見ているジャケットは見覚えがあり、音楽も聴き覚えがあった。

「マイルスですか?」と私は老人に声を掛けた。

「おっ、知ってるかね?」

 老人は嬉しそうに私を見ながら言った。

「懐かしい曲じゃ。目を閉じると六十年代の事が色々と思い出される。今日、冬子と買い物に行ってな、チラッと目に入ったんじゃ。懐かしくて、聴きたくなったんじゃよ」

 冬子は本当の父親を紹介してくれた。

 藤沢静斎‥‥‥今、日本の絵画界で、最も有名と言ってもいい画家だった。私も彼の作品は何度か見た事がある。初期の頃は、あまり個性のない風景や人物画を描いていた。水墨画もやっていたらしい。それから、抽象画に移り、次に暗い感じの幻想的な絵を描き始めた。日本の神話や海外の伝説上の人物などから題材を取って、彼独自の雰囲気を出すのに成功した。最近は明るい感じになり、一見しただけだと雑で乱暴に描きなぐっているという感じを受けるが、人を引きつける何かを持っている絵を描いている。幻想的な絵から現在にかけての絵は私も好きだった。

 紹介された静斎からは、そんな絵を描く絵画きというイメージはまったくなかった。細い体に小さな頭を乗せ、白い髪と白い髭を長く伸ばし、深く刻まれたしわの中でニコニコしている。山奥から下界に降りて来た仙人という感じだった。彼の目は深く静かに落ち着いているが、まだ、何かをしつこく捜し求めているようだった。

「君はなにかね、私立探偵なのか?」

 静斎が煙を吐きながら、不思議そうに私を見ていた。

 はい、と私は答えた。

「珍しい商売、やってるな、儲かるかね?」とキセルを鉄の灰皿にぶつけた。

 キンと音がして、燃えかすが灰皿に落ちた。

「売れない画家みたいなもんです。買い手がいなければ金になりません。まさか、押し売りをするわけにもいきませんし」

「うむ。わしも若い頃はそうじゃった。今は買ってくれる奴もいるが‥‥‥面白いかね?」

「はっきり言うとつまらないです。でも、好きですから」

 自分でも思っていない事が口から飛び出した。

「本当に好きな物というのは、実際、つまらんもんかもしれん」

 静斎はまた、キセルを灰皿にぶつけた。

「どうして、探偵になったんですか?」と冬子が興味深そうな目をして私に尋ねた。

「成り行きですよ」と私は答えた。その事について話せば長くなる。一々、説明するのは面倒だった。

「成り行きで探偵になったんですか?」

「色々とありましてね」

 静斎は納得したようにうなづいたが、冬子と裕子は納得しなかった。もっと詳しい話を聞きたいような顔をして私を見ていた。それでも、それ以上の事は聞かなかった。私は今、流れているジャズに話題を変えた。静斎はその話題が気に入ったようだった。五十年代から六十年代に活躍していたジャズ・プレイヤーの名前が次から次へと静斎の口から飛び出した。

 静斎に誘われ、四人で静斎が経営しているスナック『オフィーリア』に行った。

 『オフィーリア』の外側の壁には、ドーム型の小さな窓のほか、全体にモザイク式に絵が描いてあった。シェイクスピアの『真夏の夜の夢』という感じだ。ブルー系統で、うまくまとめて、シャバンヌの壁画のように幻想的で落ち着いた感じの絵だった。静斎が暇潰しに描いたのかもしれない。

 入口の扉をあけると、丁度いい音響でジャズが聞こえて来た。店内はわりと広く、右側の奥にカウンターがあり、棚に洋酒のボトルがずらりと並んでいる。背の高い痩せたバーテンが忙しそうに働いているが、止まり木に止まっているのはグレイのスーツを着た若い男だけだった。腕時計と入口をチラチラと気にしながら、気取ったポーズでカクテルをチビチビとなめている。

 正面にはステージがあり、右側にドラムセットが置いてある。中央にマイクが立っていて、左側に白いグランドピアノが置いてあった。白いピアノの上に黒いソフトハットが何げなく置いてあるのが、やけに目立っていた。ステージを囲むように丸いテーブルが群がっている。左の壁に沿ってボックス席が並んでいた。客はまだ、あまりいない。

 私たちはステージの正面のテーブルに座った。静斎が、八時から演奏が始まると言った。時計を見たら、二十分前だった。スナックのママにしては素人っぽい若い女が、カウンターの方から近づいて来た。すごい美人だった。顔も美しいが、どことなく怪しい雰囲気を漂わせた美人だった。

「いらっしゃい」

 美女は慣れ慣れしく、静斎に声を掛けて微笑した。

「わしの娘の紀子だ」と静斎は言った。

 私にはとても信じられなかった。静斎は裕子と私を彼女に紹介した。

 紀子は鼻が高く、ちょっと日本人離れした顔をしていた。目は冷たく澄んでいる。真っすぐな茶色っぽい長い髪を真ん中から分けて、肩の後ろに流している。黒いセーターと黒いスカートと黒いブーツが良く似合っていて魅力的だった。

 私は紀子と冬子を見比べてみた。冬子も美人と言えるが、紀子の方は、何と言うか、経験を積んで磨き抜かれた宝石のようだった。いや、生まれながらの美人かもしれない。静斎のような金持ちの娘だから、何不自由なく、おおらかに育ったに違いない。しかし、紀子は、何か、目に見えない不思議な雰囲気を持っていた。

「母親が違うんじゃよ」と静斎は笑った。

「わしも若い頃は色々と遊んだからな。紀子の母親も冬子の母親も実にいい女だった。二人共、だんだん母親に似て来る」

 私は紀子に見とれていた。紀子は事務的に注文を受けると、あっさりとカウンターの奥に消えて行った。冬子の方に視線を移すと、冬子の視線と絡み合った。私はニヤリと笑ったが、冬子はツンとして、そっぽを向いて、椅子に寄り掛かり天井に目をやった。裕子は音楽に合わせて右手の指でテーブルを軽くたたきながら、店の中を見回している。静斎はキセルにタバコを詰めるのに熱中していた。

「紀子さんが、この店をやってるんですか?」と私は静斎に聞いた。

「いや」と静斎はキセルに火を点けて、うまそうに煙を吐いた。

「あいつは、ここでピアノをやってるんじゃよ。紀子のピアノはなかなかのもんじゃ。それに、平野君のトランペットもいい。あんたもジャズに詳しいようじゃから、聞けば分かるじゃろう。音楽というのは人間が作り出した物のうちで最高の物じゃ。最高の芸術じゃよ」

 裕子の話を思い出した。裕子はクラシックをやっているらしいが、紀子のピアノはジャズらしい。私も昔、ジャズに狂っていた時期があった。最近はあまり聞かない。きっと、マイルスが死んでしまったからだろう。裕子のお陰で、ジャズの生演奏が聞けるとは思いもよらない幸運だった。

 バーボンのボトルと氷と水とグラスを持って来たのは紀子ではなかった。縮れた髪の毛を真っ赤に染めて、流行の最先端を突っ走っている娘だった。静斎に愛想笑いをして去って行った。

 トランペット、テナーサックス、ベース、ドラムス、そして、紀子のピアノでジャズの演奏が始まった。静斎の言った通り、トランペットは素晴らしかった。オープニングはガレスピーの『チュニジアの夜』だった。

 トランペッターの平野はなかなかの洒落者で、黒いソフトハットを深くかぶって目を隠し、黒いジャケットにジーンズ姿で、世をすねた態度でラッパを吹いている。

 テナーサックスの男は体格がよく、格好など無頓着で、買ってから一度もクリーニングに出した事のないようなヨレヨレのスーツを着ていた。サックスを吹く事が、この世で一番楽しいんだというように嬉しげに演奏している。

 ベースの男は痩せて小柄で、背中を丸め、自分の手元を睨みつけながら演奏している。

 ドラムスはインテリっぽい男で、両手両足の動きを頭の中で計算しながら、掛声を掛け、太鼓をたたいている。

 ピアノの紀子は、やはり、美しい。ここからは彼女の指の動きは見えないが、彼女の静かな顔の表情からは、とても、指が鍵盤の上を動き回っているようには思えなかった。

 紀子のピアノのソロが始まった。彼女が自分で作曲したという、『レクイエム・蒼ざめた微笑』という曲だと静斎が教えてくれた。

 何となく悲しい曲だ。人の心を過去へ過去へと連れ去って行くようだ。そして、自分が生まれる以前まで、さかのぼり、親父とお袋の若い頃、爺さん、婆さんの若い頃、そして、そのまた先祖たちの顔が、ぼんやりと見えて来るような気がした。

 静斎はバーボンの入ったグラスを両手で暖めながら、目をつぶって聴きいっていた。絵の構想でも考えているようだ。裕子は首でリズムを取りながら、真剣に聴いている。冬子は左手で頬杖をして、右手の人差し指で空間に何かを描きながら、ステージを見つめていた。私は十二年物のI・W・ハーパーのオン・ザ・ロックを一口飲むとタバコに火を点け、スポットライトに照らされた紀子に視線を戻した。紀子は目を閉じ、心の痛みをじっとこらえているような苦しそうな顔をしてピアノを弾いていた。

 紀子の曲が終わって、賑やかな曲に変わった。テナーサックスが明るく、弾むようなソロをとった。客も結構、増えて来たが、皆、静かにステージを見ている。私も久し振りの生演奏に感激していた。

 トランペッターの平野が作ったという『沈黙』という曲が始まった。平野のトランペットのソロで始まり、途中から紀子のピアノが入って来た。平野のトランペットからは痩せた野良犬の怒りに満ちた遠吠えのような哀れな悲しさが流れ出す。紀子のピアノからは傷だらけの魂でさえも、よみがえらせる朝日のような喜びが伝わって来る。二つの相反するものが、うまく調和して、私の心を震えさせた。

 演奏は一時間位で終わった。それから、冬子と裕子はスパゲティとケーキを食べ、静斎と私はバーボンを飲みながら、音楽や絵や芸術に関する事を四人で話し合っていた。

 私はいい気持ちだった。二度目の演奏が始まる前に店を出て、冬子と裕子を先に帰し、静斎と私は場所を替えて飲んでいた。

 静斎は酒が強かった。細い体のどこに入るのかと思う程、飲んでも平気な顔をして、自慢のキセルから煙を吐いて笑っていた。

 静斎の馴染みの店に何軒か連れて行ってもらった。それ程、高級という店はなかった。こぢんまりとした店ばかりで、落ち着いて酒が飲めた。

 静斎は顔が広かった。飲屋街を歩いていると、ヤクザ映画から、そのまま出て来たチンピラ連中までが静斎に挨拶をした。厚化粧の天使たちも、しきりに静斎に声を掛けて来た。そんな時、彼はニコニコして軽く頭を下げていた。

 私はいい気持ちだった。脈絡のない話が、タバコの煙から始まって、酒の話、女の話、犯罪学、社会学、歴史、哲学を通って、宇宙の果てまで飛躍して行った。


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