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14.白雪姫がいる小城 [蒼ざめた微笑]

吸血鬼ドラキュラ



 地下鉄に揺られながら上原和雄のアパートに向かった。

 気分はあまりよくなかった。早く、家に帰って寝てしまいたかった。誰も待っていない薄ら寒い部屋だったが、やけに恋しかった。昨夜、飲み過ぎて、寝不足がたたっているのだろう。そういえば、冬子から電話があったのを忘れていた。冬子は待っていると言っていた。若い娘から誘われるなんて久し振りの事だ。気まぐれ娘の気が変わらないうちに早く行かなければならない。上原和雄に酒を勧められても絶対に断ろうと決心した。

 上原のアパートは大通りから少し引っ込んだ所に建っている怪奇映画に出て来るヨーロッパの小城のような建物だった。建てた当時は西洋かぶれの貴族連中が毎晩、仮装して乱交パーティーでもやっていたのだろう。今は回りを合金とガラスの近代ビルに囲まれて、遺跡のように荒れ果てていた。吸血鬼でも住んでいそうだ。

 入口の古ぼけた重たそうな門の扉は開けたままになっている。もう何百年も閉められた事がないように錆びついていた。もっとも、この扉を閉めるにはフランケンシュタインキングコングの力を借りなければならないだろう。

 玄関に入ると右側に広い階段があり、左側に管理人室らしきものがあった。その前に、埃をかぶった赤電話が置いてあるが線は途中で切れている。管理人室の前を通ると薄暗い部屋の中から、くたびれたトロンとした二つの目が私を睨んでいた。

 私は無視して階段を上がった。階段の軋(きし)む不気味な音が辺りに響き渡った。三階の廊下には人影はなかった。私の影だけが廊下の上を長く伸びている。どこかの部屋から女の騒いでいる声と麻雀(マージャン)の音が聞こえて来た。テレビの音も聞こえて来る。みんな、このカビ臭い建物に満足して平和に暮らしているらしい。

 上原和雄の部屋のドアには『現代写真研究所・上原和雄』と書いてあった。ブザーらしいものはないのでノックしてみた。

 反応はなかった。ドアに耳を付けて中の音を聞いてみた。何も聞こえては来なかった。取っ手を回してみたが鍵が掛かっていた。

 私は時計を見た。九時二十分過ぎだった。写真で飯を食っている人間が今頃、家に帰っているはずがなかった。この種の人間を捕まえるには午前中でなければ駄目だ。

 私は暇を持て余している管理人と話をする事にした。

 管理人は、この建物ができた当時に備え付けられた骨董品のような白髪頭の小柄な老人だった。右手に買ってから一度も洗った事のないコップにウィスキーを半分程入れて持っていた。

「へっへっへ、気の毒にな、おめえさんのお目当ての女は、まだ、他の野郎とお楽しみ中だったらしいな」

 管理人は人の不幸を喜びながら、酒臭い息を私に吹きかけた。

「この古ぼけた城に可愛い白雪姫でもいるのかい?」と私も酒臭い声で聞いた。

「へっへ、ここには何でもいらあな。白雪姫だろうがよお、かぐや姫だろうが、桃太郎侍だろうが、こそ泥、あばずれ、ペテン師、気違え、鬼婆ア、何でもいらあな」

「ほう、アル中の覗き屋もいるらしいな」

「ふん。何だっていらあな。ここにいねえのは、まともな人間だけよ。おめえさん、あの女に会いに来たんじゃねえのか?」

「残念だが違うな。俺が会いに来たのは上原和雄ってえカメラマンさ。知ってるだろ?」

「へっ、知ってらあな、顔だけだがな。おめえさんもカメラマンかい?」

 私は何も言わなかった。彼の反応を見ていた。

「ふん。ろくな人間じゃねえ」と管理人は顔をしかめた。

「それこそよお、覗き屋だぜ。最低な野郎よ。おめえさんもカメラをいじくってんなら、さっさと帰(けえ)んな。面も見たかあねえ」

「俺はカメラなんて持ってねえよ。俺は探偵さ。上原の事をちょっと調べてる。協力してくれないか?」

 管理人は濁った目で私の顔をじっと見つめた。どこを見てるのか分からなかったが、私を観察しているらしい。彼はウィスキーを一口なめると舌打ちした。

「あいつが、何か、やったのか?」

 彼は興味なさそうに聞いた。

「女の事でな、ちょっと問題があるらしい」

「ふん。俺は何も知らねえよ。さっさと帰ってくれ。俺はもう寝るんだ」

「まだ、九時半だぜ、今から寝たら目が腐るぜ」

「目なんか、とっくに腐ってらあ。俺は早寝早起きなんだよ」

「あんた、酒が好きらしいな」

 私はポケットから千円札を二枚出した。

「俺の楽しみは酒だけよ」

 彼の目が二千円をチラチラ見ていた。

「奴の何が知りてえんだ?」

「あんたの知ってる事だけさ」

 女が一人、入って来た。高級そうな毛皮のコートを着て、滑らかにウェイヴした髪を無造作に分けていた。夜だというのに茶色いサングラスをかけ、コートの襟を立てている。私の横を通り過ぎた時、かすかな甘い香りがした。私たちを空気でも見るようにチラッと見てから階段を上がって行った。彼女はハイヒールの足音をさせながら二階に消えた。

 二人の男は彼女が見えなくなっても足音を耳で追っていた。

「あんたが、さっき言ってた女ってえのは、あれの事かい?」

「馬鹿言うねえ。あんな女は、こんな汚ねえとこに住んじゃいねえよ。あれも上原の女よ。奴にはまったく勿体(もってえ)ねえ」

 私が顔を戻した時、二千円は消えていた。

「よく来るのか?」

「いや。前は何度か見たが、最近はあまり来なくなった」

「上原は女の出入りが激しいようだな」

「色々といるぜ。中学生みてえなガキから、化け物みてえな商売女だの、人妻もいるようだな。たまには凄え美人を連れて来る事もあるけどな、たいていは下らねえ女よ。さっきのなんか上玉だぜ」

 彼は階段の方に目をやり、ウィスキーをうまそうに飲んだ。

「奴は女を部屋に連れ込んで何してるんだ?」

「そんな事まで俺が知るわけねえ」

 彼は溲瓶(しびん)のようなボトルから、ウィスキーをコップに注いだ。

「今、流行りのヘアヌードってえのを撮ってんじゃねえのかい。一晩中、将棋をやってたなんて話は聞いた事もねえ」

「囲碁ならやるかもしれないぜ、ベッドの上でな」

「ベッドの上で囲碁だと? そんな話も聞いた事もねえ」

「白黒ショーって奴だよ」

 古臭い事を言ってしまったと思ったが、管理人には通じたらしい。汚い歯を見せて、ヘッヘッヘと笑った。

「うめえ事言うじゃねえか」

「それ程でもねえ。奴はヌード写真も撮るのか?」

「この前(めえ)、本を出したらしいな。俺にもくれるって言ってたが、まだ、貰っちゃあいねえ」

「奴がヘアヌードの写真集を出したのか?」

「ああ、そう言ってたぜ。俺は見ちゃあいねえが」

「有名な女優でも撮ったのか?」

「そんな事あ知らねえよ」

「ところで、奴はスキーに行ってたらしいが、もう帰って来たんだろう?」

「らしいな。奴の車があるからな」

 さっきの毛皮の女が戻って来て、私たちを無視して外に出て行った。サングラスをかけていたが、いい女だという事は充分に分かった。こんな女がわざわざ訪ねて来るとは、上原という男は余程、二枚目に違いない。ハイヒールの足音を響かせながら女は闇の中に消えて行った。

「奴の車はどこにあるんだ?」

「裏の駐車場にあらあな」

「どんな車だ?」

「外車だよ。ビーエム何とかってえ奴さ」

「BMWか?」

「そいつだ」

「いい車に乗ってるじゃねえか。相当、稼いでいるらしいな。奴は今、どこにいるんだ?」

「知らねえよ。帰って来てから一度も顔を見ちゃいねえ。きっと、夜中に動き回ってんだろ。ドブネズミみてえにな」

「車はいつ、帰って来た?」

「昨日の朝には帰ってたな。それから、ずっと止まったままよ。どうせ、また、外国でも行ったんだろ」

「奴はよく外国に行くのか?」

「ああ。仕事で行くらしいな。金髪女の裸を撮りに行くんさ。俺に酒をくれた事もあったな。名前(なめえ)は忘れたが日本で買うと高え酒だそうだ。瓢箪(ひょうたん)みてえな瓶に入ってたよ」

 彼はニヤッと笑うと、コップを指ではじいた。情けない音がした。

「ここに住んでる奴らは、みんな、いい奴だぜ。部屋代は払わねえけどな、俺にはちゃんと酒をくれるよ。酒さえありゃ、俺は文句も言わねえからな」

「あんたは、ここにどれ位いるんだ?」

「もう五年にもならあな」

「前は何をしてたんだ?」

「職人よ。植木職人よ。これでも、昔は腕がよかったんだぜ」

「なぜ、やめたんだ?」

「ふん。気に入らねえからよ」

 彼は顔を歪めながら、ウィスキーを流し込んだ。

「俺の仕事を分かってくれる奴がいなくなっちまったのよ。もう、職人なんちゅうもんは必要なくなっちまったんでえ。木だって生き物だぜ。それをどうだ。人間が床屋みてえに勝手に枝を切って、好きなような形にしてやがる。あれじゃあ、木だって可哀想だ。今の時代はよ、木なんか、どう思おうと人間様が粘土(ねんど)細工みてえに勝手に形を作るんだよ。丸くしたり三角にしたりな。俺にはそんな真似はできねえんだ。酒をくらって寝てた方がましさ」

 彼は喉を鳴らしながら酒をくらった。顔は益々、歪んできた。

 私は彼にタバコを勧めた。彼は黙って、一本、取って口にくわえた。私は火を点けてやった。彼はうまそうにタバコを飲んだ。私もタバコをくわえて、紀子の写真を見せた。

「ほう、いい女じゃねえか、まさか、おめえの女房じゃあるめえ」

「残念ながらそうじゃない。見た事あるかい?」

「ねえな。あれば覚えてるよ」

 彼の目は嘘をついているようには見えなかった。

「今度、来る時は酒でも持って来るよ」

 私は肩書の書いてある名刺を渡し、上原が帰って来たら連絡してくれと頼んで管理人と別れた。

 タバコを投げ捨て、トレンチコートの襟を立てて玄関の方を振り返った。

 誰も住んでいない空き家のように、ひっそりとしていた。


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