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24.冬に戻った月曜の朝 [蒼ざめた微笑]

ボルボ V70



 紀子が見つかってから四日目、月曜日の朝だった。自宅の方にひろみから電話があった。

「よかった、まだ、そっちにいたのね?」

「どうしたんだ? 忘れ物か?」と私は聞いた。

「そうじゃないの。違うの、大変なのよ」

 いつもと様子が変だった。かなり、慌てているようだった。

「ねえ、早く来て、すぐに来てちょうだい」

「どうしたんだ? まあ、落ち着けよ」

「そんな場合じゃないのよ。すぐ、来て。いなくなっちゃったのよ」

「誰がいないんだ?」

「お母さんよ。お母さんが、どこにもいないのよ」

「お母さんが?」

「そうよ。朝、起きたら、どこにもいないの」

「昨日の夜は?」

「帰ったのが遅かったでしょ。真っ暗になってたし、もう寝てると思って、あたし、二階に行ったわ。朝、起きて、いつもなら、お台所にいるのにいないから、おかしいと思って、部屋を覗いてみると、どこにもいないのよ」

「静斎さんには連絡したのか?」

「したわ。そしたら、あなたを呼べって。今頃、こっちに向かってると思うけど」

「分かった。すぐ行く」

 外に出ると、また、冬に戻っていた。二、三日、春のように暖かかったのが嘘のように、今日は冷たい風が吹いて、何もかもを凍らせてしまっている。春の準備をしていた草花は体を縮めて、じっと寒さに耐えていた。

 私はジープに乗ると静斎の屋敷に向かった。

 紀子と隆二が見つかったと思ったら、今度は夫人が消えてしまった。きっと、次はひろみで、その次は静斎だろう。私は、あのうちのお抱え探偵だ。毎日、誰かを捜している。食いっぱぐれる心配はないわけだ。

 先週の金曜日に会った時、静斎夫人は楽しそうだった。やっと、家族がみんな揃うと喜んでいた。土曜日には隆二が妻子を連れて帰って来た。静斎と隆二も仲直りして、夫人は涙を溜めて、二人を見ていたと言う。

 日曜日の昼過ぎ、隆二たちが高崎に帰ると、夫人は兄、流斎の墓参りに出掛けた。日曜日は天気がよかったので出掛けたのだろう。しかし、墓参りからはまだ帰っていない。どうせ、知り合いの家にでも泊まって、今日中には帰って来るとは思うが、帰って来るまでは捜さなければならなかった。

 静斎の屋敷は誇らしく、どっしりとしていた。三日前に来たばかりだったが、久し振りに来たような懐かしさを覚えた。ガレージにはジャガーはなく、赤いボルボだけがあった。

 私がベルを押す前に玄関のドアは開いた。ひろみが蒼白い顔をして現れた。無理に笑って見せたが、心配しているようだった。

 屋敷の中はシーンとしていた。ただ、静かなのではなく、何かに押しつぶされているような重い沈黙だった。初めて、この屋敷に来た時、二階から紀子のピアノが聞こえて来たのが、ずっと昔のように思えた。

 私を応接間に案内すると、ひろみはソファーに腰を下ろして、

「どうしよう?」と私を見上げた。

「昨日、あなたが帰って来たのは十二時頃ですよね?」

「十二時半を過ぎてたわ。うちの中は真っ暗だった。お母さんはいつも十一時には寝ちゃうから、昨日も、もう寝てると思ったの。ねえ、あたしがあなたのとこに行ってた事は言わないでね」

「分かってますよ。そんな事を言ったら、つまみ出される」

 私はひろみの正面に座った。今日のひろみは髪の毛を無造作に束ねて、アメリカの国旗のようなエプロンを付けていた。

「お母さん、あたしたちの事、知ってたのかしら?」

「まさか? 考え過ぎだよ」

「だって、帰って来ないなんて、おかしいわ」

「あなたとお母さんはうまく行ってたんだろう?」

「うまく行ってたわ、でも‥‥‥」

「きっと、お母さんは知り合いのうちに泊まったんだよ。隆二さんが帰って来て、その事で話がはずんだんだろう。昨夜、その事を電話したのかもしれない。しかし、うちには誰もいなかった。きっと、昼頃には帰って来るよ」

「そうだといいんだけど‥‥‥」

「以前、お母さんがうちをあけるような事はなかったんですか?」

「滅多にないわ。やっぱり、あたし、昨日、うちにいればよかったんだわ」

 ひろみは肩を落として、しょんぼりとしていた。

「自分を責めない事です」

 ひろみは力なく笑った。

 静斎が帰って来たようだった。ひろみは立ち上がると窓から外を見て、玄関の方に向かった。

 ホールの方で静斎とひろみの話し声がして、静斎が絵の具だらけの上着を着たまま、応接間に入って来た。ひろみはついて来なかった。

「何じゃ、その顔は?」と静斎は、私を見るなり言った。

 自分では大分、よくなったと思っていたが、他人から見ると、まだ、ひどいらしかった。

「ちょっと」と私は言った。

「そうか」と静斎は納得した。

「話は聞いたな。捜してくれ」と静斎はソファーに腰を下ろした。

 私はうなづいた。

「流斎さんのお墓っていうのは、どこにあるんですか?」

「この東京じゃよ」

 静斎はタバコセットに手を伸ばし、タバコをくわえると素早く、卓上ライターで火を点けた。ゆっくり、タバコを吸うと座り直して、椅子の背にもたれ掛かった。

「府中のはずれの方にある。一時間もあれば行ける所じゃ。泊まりがけで行くような所じゃない。あいつが無断で外泊するような事は、これまで一度もなかった」

 静斎はタバコを吸いながら、窓の外を見ていた。

「もしかしたら、電話したのかもしれませんよ。でも、うちには誰もいませんでした」

「そうかもしれんが、わしはずっとビーチハウスにいた。久江だって知ってたはずじゃ」

「毎月、必ず、行っていたと聞きましたが?」

「そうじゃ。流斎が亡くなってから毎月じゃ。毎月、一度は必ず行っていた」

 彼はまずそうに煙を吐くと、顔をしかめてタバコを灰皿で揉み消した。

「二十年も続けていたんですか?」

「そういう事になる」

「二十年も‥‥‥」

 私には信じられなかった。

「わしは‥‥‥」と静斎は呟いた。

「昭子が死んでから後も久江の所に帰らなかなかったんじゃ。紀子の事も久江に任せたまま、わしは海外に出た。二年間、日本に帰らなかった。久江は一人でここにいた。まあ、当時はこのうちじゃなかったがな。三人の子供を育てながら一人で生きていたんじゃ。あいつには頼れる人間は流斎しかいなかった。しかし、流斎も死んでしまった。久江は辛い事があると流斎の墓に行っていたに違いない。流斎の墓に辛い事を話す事によって、それを乗り越えて来たんじゃろう。それが習慣になってしまって、二十年間も毎月、欠かさずに墓参りに行っていたんじゃろう。土曜日に隆二の奴が嫁と孫を連れて帰って来た。奴が家出してから七年振りじゃ。久江は嬉しくてしょうがなかったんじゃろう。その事を知らせるために、墓参りに行ったに違いない」

 静斎はまた、タバコに火を点けた。一服するとタバコを灰皿において、流斎の絵を眺めた。

「そのお墓のそばに誰か知り合いの方でもいるんですか?」

「いや、いないはずじゃ」

「奥さんの知り合いのとこは当たってみましたか?」

「ああ、久江が行きそうなとこは電話で聞いてみた。どこにもいなかった」

「何か、心当たりはありませんか?」

 静斎は首を振った。腕を組んで、灰皿のタバコから昇る煙を見つめていた。

「奥さんは車で出掛けたのではないのですね?」

「ああ。あいつは車の運転はできない。バスで駅まで行って電車で行ったんじゃろう」

「いつも使っているタクシーとかはないんですか?」

「ない。あいつは一人でタクシーは使わない。一人で使ったら勿体ないと言ってな」

 静斎はタバコを一服すると、また、灰皿に置いた。

「紀子は山荘に行ったそうじゃな。久江はなぜ、黙ってたんじゃろう‥‥‥その事で、何か、お前に言わなかったか?」

「ええ、言いました‥‥‥紀子さんが上原さんに乱暴されそうになったそうです」

「なに、紀子が上原に‥‥‥」

 静斎は眉をしかめて身を乗り出した。

「それで、紀子は大丈夫じゃったのか?」

「ええ、大丈夫だったそうです。その時、たまたま、奥さんが帰って来て、紀子さんは無事だったそうです。そして、上原さんを帰したと言っていました」

「そうか‥‥‥」

 静斎は軽くうなづいてからタバコを揉み消すと、椅子の中に沈んだ。目は宙を見たままで、ぼんやり右手で顎髭を撫でていた。右手の動きが止まると同時に静斎は私を見た。

「それで、紀子は久江に何かを聞いたのか?」

「ええ。本当のお母さんを殺した犯人の事を聞いたそうです」

「それで、久江は何と言ったんじゃ?」

「知らないと答えたそうです」

「そうか‥‥‥」

 静斎はまた、顎髭を撫で始めた。

 私はポケットを探ってタバコを出し、口にくわえて火を点けた。静斎もまた、タバコに火を点けていた。

「他に何か言ってなかったか?」

 静斎はぼんやりと窓の外を眺めながら聞いた。

「いいえ、他の事は知りません」

「うむ」

「流斎さんのお墓に行ってみます。場所を教えて下さい」

 静斎はテーブルの下からメモ用紙を取り出して、簡単な地図を書いてくれた。

「山荘の方には連絡しましたか?」

 静斎はうなづいた。

「淳一しかいなかった。あんな所に久江が行くはずもないが‥‥‥」

 静斎は気が抜けたようにぼんやりと外を見ていた。

 私は地図をポケットにしまい、タバコを灰皿で消した。頭を下げると、その場から離れた。

 静斎は彫刻のように動かなかった。左手に持ったタバコの先から立ちのぼる煙だけが静かに動いていた。

 ホールにはひろみの姿はなかった。奥の方から物音が聞こえた。静斎のために朝食の用意をしているらしかった。

 私は玄関の扉を開いて外に出た。

 冷たい風が吹いていた。

 私はコートを脱いで、ジープに積んであるダウンジャケットを着るとジッパーを首の所まで上げ、ジープに乗り込んだ。


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